闘将・江藤慎一がプロ野球選手になるまで。貧困から名将や名スカウトとの出会い (2022年1月10日) - エキサイトニュース
昭和の名選手が語る、"闘将"江藤慎一(第2回)第1回を読む>>
1960年代から70年代にかけて、野球界をにぎわせた江藤慎一という野球選手がいた(2008年没)。ファイトあふれるプレーで"闘将"と呼ばれ、日本プロ野球史上初のセ・パ両リーグで首位打者を獲得。ベストナインに6回選出されるなど、ONにも劣らない実力がありながら、その野球人生は波乱に満ちたものだった。一体、江藤慎一とは何者だったのか──。ジャーナリストであり、ノンフィクションライターでもある木村元彦が、数々の名選手の証言をもとに、不世出のプロ野球選手、江藤慎一の人生に迫る。
闘将・江藤慎一がプロ野球選手になるまで。貧困から名将や名スカ...の画像はこちら >>ダンベルでトレーニングをする江藤慎一 少年時代の江藤慎一は後の豪傑イメージとは程遠かった。気管支が弱いうえに難病のジフテリアにかかり、長く運動を禁止されていたのである。尚武の気風を尊ぶ九州は熊本の地で体育の時間に参加することが許されず、教室からの見学を余儀なくされることは、実につらかったと自著(『闘将火と燃えて』)に記している。4人兄弟の長男である江藤は、その実家のことを、子だくさんで明るく、しかし、貧しい家庭であったことを「まるで映画の『つづり方兄弟』のようであった」と書き残している。『つづり方兄弟』(1958年製作)は、極貧のなか、得意な作文を支えにたくましく暮らす大阪交野市の野上三兄弟を描いた物語であるが、劇中で8歳の次男・房雄がまともな医者にかかることができず、劇薬を飲まされて腸マヒを起こして急逝するという貧困ゆえの痛ましさが、ひとつのテーマになっている。江藤家もそれに比すというであれば、いかに赤貧洗うが如しの状況であったか、推して知ることができる。
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