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Engadget Logo エンガジェット日本版 FM TOWNSの初速は順調もライバルX68000のイベント偵察で辿り着いたひとつの答えとは?:PC広報風雲伝(第2回)

広報にまつわる人との接し方を中心にたくさんの失敗と格別な楽しさの体験談を時事ネタ交えつつお伝えしていくこの連載。今回はFM TOWNSが世に出てからの苦悩と学びについてのお話しです。


こんにちは。前回第一話では、長年勤務していた某PCメーカーへ入社後からFM TOWNSの発表までのエピソードをお話させて頂きました。

私が広報を手掛けるようになるまではまだまだ時間がありまして、結果的にPC業界の基礎を叩き込まれている時代に様々なヒントをもらっていたわけです。短期間でこんなにたくさんの経験ができたのも社運をかけて投入したハイパーメディアパソコンFM TOWNSのプロモーション部隊に配属されたからだと思います。その時の経験がその後の広報業務に活きていると言っても過言ではありません。今回はそのあたりの昔話をもう少しさせていただきます。

時は1989年バブル全盛期の中でのFM TOWNS発表でした。

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1989年2月28日「パソコンが変える、FM TOWNSが変える」

世の中で初めてのCD-ROM搭載パソコン、そして初のコンシューマー商品本格投入(1981年からFM-8[FUJITSU MICRO 8]などのPCがあったので正確には初ではないですが……)ということで社運を賭けた作業に忙殺され、また「一本の稟議で〇〇億円は初めてだった」と上司に言わしめたFM TOWNSのプロモーションが始まります。

発表会は丸の内本社の大会議室で行われ、マスコミを多数招待して行われたものでした。この時はマスコミとは無縁でしたので、雑誌社の名前を見ても雑誌名と一致しないだけでなく、そもそもメディア=新聞記者位にしか感じていなかったのです。そういう意味では一般の人々同様、情報を受ける側のポジショニングでした。

当時のパソコンはそもそも高価だったのですが、32ビット対応のFM TOWNSはそれにも増して特別高い商品でした。本体が39万8000円、キーボード、ディスプレイを含めると40万円超! それでもバブルはこの価格を受け入れてくれたのです。

発表会では当時の山本社長が挨拶をし、その日から放映されるテレビコマーシャルを上映しました。

IBMと戦ったなどとの報道もあった時期、山本社長はものすごく格好よく、日本のコンピューターメーカーを背負っているビジネスマン然とした方でした(その時初めて生で社長を見ました)。

商品もソフトもぎりぎり追いつくかどうかという中での発表会でしたが、私たちはその後に控える史上初の大規模パソコン展示会「電脳遊園地」にターゲットを絞っていたのです。ティザー広告の効果も高く世の中にCD-ROM搭載パソコンはリリースされたのでした。

独特ルーチンを生み出した電脳遊園地

同年3月10日。東京ドームで「電脳遊園地」が開催されます。この年から3年間続く東京ドームでの展示会です。今では普通のイベントを行う東京ドームですが、そもそも完成したのは1988年。当然パソコンの展示会は初めてでした。

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エンガジェット日本版 FM TOWNSの初速は順調もライバルX68000のイベント偵察で辿り着いたひとつの答えとは?:PC広報風雲伝(第2回)

ビートルズが武道館で初のロックコンサートを行ったように、FM TOWNSが初めて東京ドームで展示会を開催したのです。開催数日前の深夜、いよいよイベントの搬入となります。東京ドーム右翼スタンド側搬入口から、気圧の差で激しい風を受けながら数百台のFM TOWNSが搬入されます。

店頭向けパソコンの大規模展示会は会社としても初めてであり、準備から当日の搬入まで基本は社員総出で行いました。会場のエントランスゲートは「FM TOWNSタワー」として100台近くのFM TOWNSのディスプレイを積み上げます。10数メートルもあるタワーを見たこともない長い脚立を使って自ら積み上げていく──ポイントは「自ら」──そう、すべては初めての事で作業も自分たちで行うのが当たり前だった頃です。

設置中に落ちたらどうするとか命綱とかそういう事には気持ちが回らなかったのかどうかはわかりません。いずれにせよ、このスキームはそれからの展示会のやり方に受け継がれていて基本的にはすべて社員が行う文化が継承されていきました。会場に行くとパソコンがあってそれをセットアップすればよいというのは大分たってからの事です。おかげで並べ方ひとつからこだわって自分たちで行うため、おのずとイベントの内容だけでなく作り方や運営の仕方、時間配分や必要工数などが身についた時期でした。その後数々のイベントを行うことになった私の基礎はここにあったと思います。

「代理店に頼むのがもったいない」という思想ではなく「自分たちでやったほうが早いし良く伝わる」という考え方です。その後の広報業務においても、「自分で直接話して、自分で回答をする」というやり方をしてきましたが、それが一番正確で一番早いと思っていました。

さて、そんな電脳遊園地は3日間で18万人を集め、大成功に終わります。メインの歌手がドタキャンしたり、会場に人が溢れて退場促進のために「今すぐの退場者にポスター5000部を配れ」と言われて指紋がなくなったり……。

中でも記憶に濃く残っているのはこんなエピソード。一息ついていると「ノベルティがない」と大上司が切れていて、倉庫に電話してみるものの、日曜日なので倉庫も誰も電話出ません。大激怒する大上司に「今すぐ倉庫に行ってきます」と小上司が言い、私もタクシーに乗り倉庫まで走る羽目に。小心者の私は「行けば倉庫は開けてもらえるのでしょうか?」と小上司に聞くと「いや、今日は休みだから誰もいないよ」と言います。普通に。そうか、サラリーマンというのはこういう対応をすることも必要なんだと勉強させられました。解決力というよりも対応力とでしょうか。

結果、倉庫に行っても当然開けることはできず、何の手土産もなく2時間後に東京ドームに戻ります。するとそこには平穏な時間が。目の前の嵐を切り抜ける技も教わりました。凄いな、これは島津公の関ヶ原中央突破のようなものだ、と感心したのです。このイベントでは完全に裏方仕事で、会場の中で行われていたことにはほとんど参加できませんでした。そしてこれを機に販推、イベントは楽しいと思い始めたのです。

営業はなぜ怒る?

電脳遊園地後は、全国電脳と銘打って地方でのイベントやショールームでのイベントをスタートさせました。こちらも担当として毎週末は必ず全国どこかでのイベントに駆り出されます。その中でカルチャーショックだったのは営業との仕事の仕方でした。

イベントを開催するために各地の営業と会議を行うのですが、とにかく機嫌が悪い。本社からお伺いを立てるように営業部門にイベントの中身を説明する形をとります。説明をしても反応はあまりよくなく「良くわからない」と言われることもしばしばありました。「こんな内容ではお店に説明できない」と言われて資料を際限なく修正する販推のメンバー。営業は何故こんなに機嫌が悪いのか? 同じ会社で同じ商品を売って利益を上げるために働いているのではないか? 売る人の為になるように話をしているのに何でそういう態度なの? とも思うこともありました。

そんな中、大阪の日本橋に行き、営業とお店に訪問した時の事です。普段強面の営業が「いつもお世話になります!」と笑顔で店員に挨拶をします。こんな笑顔ができるのか? と心の中で思います。次の瞬間「時間ないから早くやってよ?!すぐね!」機嫌の悪そうな店員の指示で営業はパソコンを箱からだし、店頭のディスプレイを飾り始めます。何をしていいかわからない私はただ箱を片付けたり、あたふたしながら作業を手伝ったりするのみ。

この時、営業も大変なんだと思うとともに「私たちが売りたい=お店が売りたい」ではない事を思い知ります。お店は売れるものを売りたい、リリースしたばかりのものを売りたいのは我々で、お店は売れて儲かるものを用意して欲しいだけなのです。だから、能天気に「こんな商品出したのですごいでしょう。皆さん売ってくださいね」というポジティブさは営業からすると「それはお店に説明して受け入れてもらってからの話だろう」と思うのでしょう。

新商品が出たあとにそんなやりとりはよくある話です。営業からすれば、中途半端な商品や説明資料を持ってお店に行くと「ただ、怒鳴られるだけ」。経験からわかりえる事だから販推の甘さが面白く思えず、それが態度にでて機嫌が悪くなる。「そうか、ならばこの人たちが考えていることを形にすればいい。この人たちがどう考えているかまずは知ろう」、と思って営業と酒を飲み、現場の話を聞く事から始めました。

「彼らはどうして欲しいのか、どうすればそれが営業の先にあるお店に伝わり、それをお客様に伝えられるのか?」このシンプルな流れを意識して、伝える言葉を送り出せばスムーズにいく。そして、結果として酒の量は増え、親密な人も増えてきました。話をすると情も出てくるのが人の定め。狂犬のように怖かった営業が親友になってきて仕事もそれに比例して楽しくなってくるのでした。

井の中の蛙はなんとやら

自社展示会をこなしている中、評判はまずまずでしたがそろそろ売り上げ数字も気になってきます。発売後の初速は評価されるべき数字でしたが、その後は低調な数字が続き、部のムードも沈みがちに。何でもやればいいという時代ではありませんでした、それでもこの時は「新しいものを浸透させるためには先行投資」と考え方ありましたし、予算もふんだんにある時期でした。

当時はパソコン黎明期でしたが、それなりに世の中で注目もされ始めた商品で、特にゲームをやる機器としての注目をされていました。そのブームの中でハイパーメディアを切り口にCD-ROM搭載PCを発表したのです。しかし、周りを見るとPC-9800、X68000と、競合機種の勢いが止まりません。

そんなさなか、X68000のイベントを見に行った時の事。まだ、他社比較なんて余裕はなかったですし、そもそもPCの知識が乏しい自分にとって、他社の展示会に行くのは初めてでした。もしかしたらスパイと思われるのでは? なんてまったく顔の売れていない自分なのにドキドキしていたものです。

X68000のイベントは、当初からゲームのラインナップが揃っていたこともあり展示会もきらびやか。たくさんのソフトが体験でき、アフターバーナー一点突破を狙った弊社とは大きく違いました。展示会自体も未来をイメージしたようなデザインやレイアウト。見るものすべてが自分たちよりも上のように感じます。下っ端の自分にはまだ何もできませんけれど、もっとこうしたらいいんじゃないか? と妄想を巡らせるようになります。

「この展示会はすごい。でもここに来なければ良さはわからない。それならうちはこの倍以上各地でイベントをやって知ってもらうしかない。全国のショールーム、販売店の店頭、それがない所は公共会場。わかりやすく数の論理で打って打って打ちまくるのだ。」勝つには何が必要か? 知らしめること以外ない。何でもやることが形にできた時期。そうして更なる仕事人生にのめり込んでいくことになるのです。

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秋山岳久

PC全盛期とバブル真っ只中からPC事業風雲急時代までPCメーカーで販売促進・広報と、一貫してメディア畑を歩むものの、2019年にそれまでとは全く異なるエンタテイメントの世界へと転身。「広報」と「音楽」と「アジア」をテーマに21世紀のマルコポーロ人生を満喫している。この3つのテーマ共通点は「人が全て」。夢は日本を広報する事。齢55を超えても一歩ずつこの夢に向かい詰めている現在進行形。

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